こころのヨーガ

今村幸子さんことさっちゃんが開催するオンライン講座「こころのヨーガ」のイメージイラストを描かせて頂きました。


偶然、熊野のお寺でさっちゃんと出会ってSNSで繋がって、その発信を受け取るうちに、この方の世界をもっと見てみたいと感じるようになった。


自分のニュートラルを知りたかったり、私の感覚任せなセルフケアに指針が欲しいとずっと思っていた。

中でも気になっていたのがポリヴェーガル理論で、本を読んだりもしたんだけど、日常の中でその知識が全然うまく生かせない…

そんな時にさっちゃんが対面でポリヴェーガル理論のクラスをされていることを知って、オンラインで受けられないですか?と勇気を出して聞いてみたら、この「こころのヨーガ」の構想を教えてもらって。

講座が開講されるのをずっとずっと待ってた^^


私はこの講座の一期生!一昨年から去年にかけて受講させて頂きました。

半年間でとっても濃厚な学びと気付きを注ぎ込まれ、ここで学んだ全てのことが私の血肉となってが日々の中で活用され、日々を生きていくための実践的な智慧として今も私を支え続けてくれています。

まだまだ実践不足で落とし込めていないところも多くあると感じつつ。

ここで得た様々なヒントを使って生き抜いていく。ライフハックが詰まった講座でもあると思う。


心理士を経てヨガやアーユルヴェーダの道に入ったさっちゃんが学んできた膨大すぎる智慧をよくぞここまでコンパクトにまとめて提供できるなって、さっちゃんのまとめ力にびっくり。さっちゃんは伝える天才だと思った。

ボリュームが凄すぎて大盤振る舞いすぎて、さっちゃんが本当に全力を注いでこの講座を組み立てているのが伝わってきて、これ元取れてるの?って心配になるくらいだった。

第二回では縮小されるんじゃなかろうか…縮小されなかったとしたら、さっちゃんの器がデカすぎる。


受け取ったものが膨大すぎて、講座から一年経った今もまだ余韻の中。この講座の魅力を伝えようとするとどこまでも喋り続けてしまいそう。


こころって何なのか、漠然としていて捉えどころがない。

でも、それを定点観測することができたら、その扱い方も分かってくる。

メジャーな心理学の学派の考え方をひととおり、そして、ヨガ、ヴェーダーンタ、アーユルヴェーダ、生理学、現代医学…。

色々な学派でのこころの定義の相違点を知る半年間。本当〜〜に、めちゃくちゃ面白かった。


自分が思うこころの捉え方はどの学派のものと親和性を持っているか?

それを知っておくと自分の世界や言葉にならない感覚を伝える上でも深みが出るし、支えになる。

例えば「自我」っていう表現ひとつとっても、ヨガと一般的な心理学とユング心理学では全然違った意味になる。

そういったことは実際、私がワークショップやセッションをする中でもすごく役立っている。

セラピーやセッション、施術をされている方なんかにも、とても役立つ智慧なのではないかなと感じています。


講座から受け取ったおっきなギフトのひとつが、ユング心理学。

さっちゃんはその学派の先生から心理学を学ばれたようで、講座の中でユング心理学が専門的に扱われることはなかったものの、時おり、そのものすごい深淵を垣間見ることがあった。


この講座についているさっちゃんとのプライベートセッション(ほんと大盤振る舞いすぎる)では「ユング心理学を使って私のこころを見てみたい」とリクエストをしたのだけど、もうそれは異次元のセッションで。

大いなるものとのつながりを取り戻し、私という存在を保ったままそれに還っていくような特異な時間だった。

それは私にとっては特殊すぎる感覚で、言語化はまだまだできないけれど、あの時の感覚をしっかり覚えておこうって思ってる。


ユングと神話について知れたこともまた大きなギフト。

「神話」という言葉が入ることで私にとっての「表現すること」がより鮮明になってきています。


私は、ひとつひとつの歌や絵の中に、実は神話的な(今ならこの言葉を使うことがとてもしっくりくる)エッセンスを入れている。

それは、ある民族に伝わる伝承歌だったり、昔話だったり、詩だったり、マントラだったりする。そういったものがすごく気になって収集しちゃう衝動は、それらが私を支えるものだって深いところで分かっていたからなのかも。

言葉で理解しようとすると一見意味のわからないところが多いそれらと、私の感受性を掛け合わせた時に、質感を持った世界が立ち現れる。

神話が、私の奥底にあるなんともいえないものを引っ張り出してきて昇華させてくれるための媒介になる。

(そこにプラスして図形や数字や音を使った結界みたいなものを織り交ぜていたりもする)

そういうことを前面には出していないし、そこまで深く意図を持ってやってきたわけではないんだけど、自然とそうなってた。

その理由を考察すると…

絵や音を扱うのって呪術的な行為だと思う。それを一人で自己流で扱う危険性も体験してきた上で(表現し切った時、結構いろんな反応が心身に出る)、そこでもうすでに体系化されてる神話やタントラという雛形を使うことで安全に出していけるなぁって思って、それが私が安心して奥底のものを表出させることのできる手段になった。個人的な感性から出るものを神話的世界観で表現すると、安心安全。

それはユングのやり方で心を見てもらっている時に感じた、「個人的無意識から解釈するとしんどくなるけど集合的無意識から解釈するとまた違った感覚になる」ということとも繋がっている気がする。


それを人と一緒にやるのが楽しくて絵の依頼を受けてるんだなーとも思った。

依頼を受ける時に相手の神話を観る。それをスイッチにして生み出していく。

だから、私とクライアントさん、お互いの神話に親和性があると(本来全ての神話には親和性があると思うけど、今の私には繋げられない神話たちもある。河合さんの本を読んだら繋げる力を強化できるかも…)、スムーズに行くし、そこに神話が見出せないと焦点が合わないような、共同創造じゃなくて一人で描いてる感覚になる。


私は自分の絵や音を自分のパーソナルなものだとは思っていない。それは神話を使った安心安全の磁場の中で解放していくからなんだと思う。

例えるなら、私という個人が発言していて、古今東西の神話たちが聞き手になって、神話たちはそれぞれの言語でフィードバックをくれてる、そのフィードバックの寄せ集めが絵や歌になる、そんな感じ。

今回描かせて頂いた絵も、実はひっそりと、そういった神話的世界観を通して表現しています。


神話という人類共通のテーマ、その全てはシュルティ(天啓)としてあるなぁ、と改めて。


そして、ユングをもっと学んでみたいな〜という好奇心も湧いてきた。

入門書として本を何冊か紹介してもらったけれど、今ちょっと新たな学びを手を出せるキャパシティが無いので、人生をかけてゆっくり、ユングの世界と仲良くなっていけたらいいな。

ユングを学ぶこと、それはこの講座から私が(勝手に)受け取った宿題^^


この講座の中ごろで、私が先に進むためにはNVCのサポートが必要!と強烈に感じて、共感サークルを始めることになり、そこからの流れでNVCをより深く学び始めることになったのも、この講座があってこそ。

自己共感が十分に行われたら、意識は自然と他者共感に向いていく。

自己共感が十分でないうちに無理に他者共感をしようとすると傷つくことがある。

それはNVCの学びから得たものでもあるけれど、さっちゃんの講座で一貫しているテーマ「セルフコンパッション」が指し示すところでもあると思う。


講座を受けてはや一年半くらい?やっと少しだけ、他者共感に意識が向いてきた。

それだけ、十分な自己共感に時間がかかった。

自分をとことん大切にする。徹底的に。それって、そうさせてくれる場に身を置いていないと自然にはやりにくかったりする。

自己犠牲だったり自己卑下だったりがデフォルトになりすぎて気づいてない人、多いんじゃないかな。

私はこの講座を受けたおかげでそこに気付くことができたと思っている。


そして、心理学の目標は「社会の中で自分らしく生きていく」ということ。

それを知った時、知らずに涙が出ていました。

私は、自分らしさを保ったままでは社会には出られないと思っていたから。

自己実現と社会適応の両輪。そのメソッドも、講座を通して学ばせて頂きました。


講座のさなかも、講座が終わってからもずっと、私たちを護り、赦し、導いてくれるさっちゃん。

そんなさっちゃんがギフトしてくれたものすごい叡智たちに花を添えるように、この絵を贈ります^^


「こころのヨーガ」第2期開催は来年かな〜?

それまでにいくつか単発講座も考えておられるようですよ!

さっちゃんの今後の動向に注目です^^




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