光の鼓動



うたがうまれた。

そのうたのイメージで絵を描いて欲しい。

という、なおさんの依頼の元、制作しました。





インド古典音楽、そしてヨーガの学びを共に実践する仲間であるなおさんとの対話からうまれたのは、古代インドの聖典・ヴェーダがから続く、自然宇宙の世界観を散りばめた絵。

うたを聞いて、なおさんがうたから感じているイメージを聞いて、そこから繋がったなおさんの「顕れてはいないけれど在る部分」、それが確かにここあるということを描けたらいいなって思った。



私は、描いてるうちに繋がったマントラ(真言)があると、それを心の中で唱えながら描くのだけど。

この絵を描く中で響いてきたのは、空海の五大元素のマントラ

「あ・ば・ら・か・きゃ」

地水火風空、そして識。


「六大は無碍にして常に瑜伽なり」とは空海の言葉。

人間を含む万物の命がこの宇宙の真理と常に一つに結びついているということ。

今までたくさんたくさん、この美しい言葉に瞑想した。


私はこの絵に、六大無碍のエッセンスを込めたかったのかもしれない。


空海の説く宇宙の真理とは、大日如来。

この絵のもとになったエネルギーは、光と闇でいえば光のほうだったんだけど、描いているうちに、ニコラ・テスラの言葉を思い出した。


光は闇から生まれた。

闇は光の本当の姿。


私は私の中にある暖かい暗闇を、私の命そのものの熱量として、とても大切に愛でている。

ネガティブなものもポジティブなものも、そこに気付きがあればあたたかく有機的になるし、気付きがなければ冷たくなり無機質になる。


その奥にある中心の光に繋がると、そこに現れているものの裏側に、そこに現れてないものがくっついている、そんな表と裏を同時に見るような視点が得られ、表裏の両方に同時にアクセスできるようになって、そこにしばらくいると表裏も混ざり合ってなくなっていく…

その感覚にたどり着くのには、光と同じだけ闇も見ていく必要がある、って思っている。


闇をずーっとクローズアップしていったら、その中心の一点は光ってる。

そんな光を捉えたいなと思った。


だからこの絵の中のなおさんは目を閉じてるのかも。

五大元素と、宇宙と、なおさん。




中心の星は「識」のイメージ。

識とは、インドの神話や哲学の中で語られるプルシャでもあり、

私の中ではインド古典音楽で語られるDha (Dhaivat)=北極星、すなわち行く先を指し示す光、でもある。

(その話をなおさんにしたら、プルシャはなおさんを見てる素朴な表情の鳥さんなんじゃない?と。なるほど!)




絵の完成間近に、なおさんから「地面を描いてほしい」という要望を頂いて、足元にちいさなお花畑を描きました。

お月様に座っているなおさんをとりまくのは、どちらかというと空想寄りの世界、ファンタジーにも見える世界なんだけど、現実にもグラウンディングしている、現実との絶妙な調和具合を表してほしい、という要望。


地面を描くことで物質界、みたいなエッセンスが加わったと思う。

これは、微細か粗大かで言ったら粗大な世界のメタファーだったりもする。


お月様からぽんっと飛び降りてちょこんと着地してお仕事に行ったりして、また、六大無礙の世界・おとがうまれる世界にかえる時にはぴょんとお月様の上に座って目を閉じてるなおさん。


私がなおさんから感じる穏やかな安定感。しっかりさとマイペースさのバランス。

そんなのも表したかったのだと思う。




向かい合わせの太陽と月、陰と陽。


あえて太陽の全体を描かずに雲を載せたのは、私の心模様が雲のように移り変わるけれど、その向こうに変わらない青空=普遍の自己があるよ、という物語を示唆したかったから。

これは、心理療法で使われるIFS(内的家族システム)の中で用いられる例えでもあり、五大元素の空=アーカーシャを意識してもいる。

どれだけ表面が揺れ動いても、奥底の変わらない部分。そこに真実の私がいる、という感覚。


月もまんまるではない。大乗仏教だと満月を悟りのイメージとして瞑想したりもするけど、あえて欠けてる。

太陽も月もゆらぎの途中。


ドレスに込めたのも、光と闇との揺らぎ・移り変わり。マジックアワーの終わり頃から、群青色までのグラデーション。太陽が沈んでから、夜のとばりが降りるまでの色彩。低い所に金色の粒子が舞ってる。

あたたかい。まろやか。とろみがある。安定感があり、強さや硬さもある。骨組みがしっかりしてる感じ。一定のペースで揺らいでて、ランダム性があまりない。


私がなおさんに憧れている部分のひとつは、なおさんが「生きるためのヨーガ」を実践していること。

私が実践しがちなのは、どちらかというと死ぬためのヨーガかもしれなくて、それが現実社会とフィットしなかったり、自分の中でこだわりを生んでしまったりもするのだけど、なおさんとのヨーガをめぐる対話の中で、なおさんの持つ「生きる」ヨーガの世界観に何度もはっとさせられていて。

なおさんの生きるためのヨーガには、完璧さよりもこんな揺らぎがいいかなって思った。

現してない部分に、完璧なもの、普遍なものを確かに感じられるような絵にしようともしてはいるけれど^^




もうひとつ。

このうたで用いられているのはインド古典音楽の中の「ハンスドワニ」というラーガ(音階)なのだけど。

てっぺんにかかる虹は、

ハンスドワニのもつ、明るくてあどけなくて透明感や躍動感のある音色を表そうとしたもの。


そして、この絵のタッチや色調は、テーマとなったうたに用いられている楽器がピアノだからこそうまれたもの。

ピアノのアルペジオのように、きらきらと跳ねて。

音の粒が揃って響き合う。

六大無碍、その全てが響き合っているような心地良さ。




六大は無碍にして常に瑜伽なり。


目を閉じて外側を肌感で感じ、内側をずっと深く見つめている。

内側に響くわたしの美しい音を、静かに聞く。


真理の追求に耐えうるような本質が、私たちに備わっていますように。

願いを込めて。




普段はA4サイズくらいで描いていることが多いのですが、今回はその倍以上のB3サイズで制作しました!

原画で見ると細かい光が散りばめられていたり、細かい表情が見れたりするのですが、小さい画面で見るとそれがなかなか伝わらなくて歯がゆいなぁ。




Acha's works

日常と背中合わせの宇宙を えがく うたう

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